夏旅その5 東西横貫公路に挑戦

さて、間を挟んでしまいましたが、夏旅その後でございます。花蓮から次の目的地清境農場に向かうには、太魯閣渓谷を経由して、中央山地に向かう道、東西横貫公路を使い、まず大禹嶺へ、そこから台14号甲線で霧社方面へ向かいます。太魯閣そのものも、両岸にがけがそそりたっておそろしい道と言う記憶があったんですが、そこから先はどうなっているのやら。期待半分、不安半分で花蓮を出立です。


と、その前に。

   


花蓮には2度めなのに、まだこちらに行ったことないのに気付き、ちょっとだけ立ち寄ってもらいました。美侖山公園のふもとにある忠烈祠*1。日本時代には護国神社があった場所です。台湾内の旧護国神社はほとんどがこうして忠列祠に変えられているようです。白いのは花蓮特産の大理石を使っているから。誰もいない静かな場所でした。


太魯閣は道中だったので、あまり立ち止まってません。1月の写真をば。

     


入り口であるこの辺りでも両岸に崖がそそり立ち、心の中で「落石危険」という言葉がこだまします。途中自然にできたトンネルを抜けるところもあるんですよ。


1月は九曲洞まで行きましたが、その後はいよいよ未体験ゾーン。


     


慈恩橋とその下の流れ。濁流です。わりとすぐに増水するようですが、台風の影響かなあ、やはり。


もう少し先の天祥で丁度お昼。ここにはカトリックの小さなセンターがあるので、ちょっと立ち寄りました。台湾の教会学校のキャンプなどでよく利用されています。


     


50席程度のこじんまりとした聖堂でした。マリア様はファティマの聖母ですね。


     


外には元気よく遊ぶ教会学校の子どもたち。要理の勉強に来たのかと思われる地元の原住民の子どもたちも。シスターがお二方、このセンターのお世話係と思われる方と話込んでいましたが、やはり原住民と思われるお顔立ちでした。本当にクリスチャンが多いんだなあ。お邪魔しないように、会釈だけして再び出発。
天祥を過ぎるとさらに行き交う車は減り、道も狭く急、そしてカーブの連続。蘇花公路も最初に通ったときはびっくりしたけれど、ここはそんなもんじゃない!内側を走っていたけれど、眼下に見下ろす渓谷は目がくらみそうです。子どもたちはなぜか喜んでいましたが(笑)。標高の表示は1000m、1500m、1800mとどんどん高くなり、ついには2000m。


2000mあたりのお空。この辺りからだんだん霧も濃く立ち込めてくるようになってきました。

空気も冷たく感じるように。



運転のだんなさまは段々緊張も限界に近づいて来ている様な様子。大丈夫か?!分岐の大禹嶺で標高2800m。もう下るのかなあ、と思っていましたが、まだまだ登る。途中の山小屋でコーヒー休憩をした時に尋ねてみると、まだ高くなりますよ、と。そして、ついにやって来た最高到達地点は



3250m。
この日の午前中は確か海にいたんだよな…
普段はブログ用に家族が映ってない写真を撮ろうとする意識が残っているんですが、親は疲労困憊でそんな意欲も失ってました。子どもたちの髪が、午前中の海風と山の風でひどいことになってますね。
展望台があったので、階段を登ろうとしたら、ほんの数段で息が切れる。空気が薄い!
それに写真でわかりますように、8月の台湾で長袖を着なくてはならないほど寒い!
この辺りは合歓山と呼ばれるエリアで、冬には雪が降ることもあるそうです。


展望台から。霧が追いかけてくるかのよう。

展望台には太魯閣戦役の案内板がありました。

 


樺山総督の台湾平定宣言が出された後も、こうしていくつもの抗日の戦いがあったんですよね。とりわけ原住民たちはよく戦った。この太魯閣戦役と呼ばれる戦いはその中でも大きな規模のもので、案内板には「台湾における最大の戦争である」旨記載されています。太魯閣渓谷の雄大な自然も、その戦いを通して日本軍に発見され、後の観光開発の端緒となったのだとか。


今日のお宿まではあともう少し。迫り来る霧の中を慎重に、何とか無事にたどり着きました。


清境のある仁愛郷はかつてはまとめて霧社と呼ばれていたところ。霧社は本当に霧深いところなのだな、との感慨を胸にその日はお宿でゆっくり休むことに。運転手さん、本当にお疲れ様。    

*1:中華民国の抗日戦や反共戦で亡くなった英霊を祭っているところ