一八九五

ここのところ、NHKの「JAPANデビュー アジアの"一等国"」について書いているブログを読んでいると、「日台戦争」という表現は妥当かどうかといった記事があり、少し前に見たこの映画を思い出した。


タイトルの数字を見れば、歴史好きな人、台湾通の人にはもう「ああ」と思う数字なわけです。下関条約により、台湾が清朝から日本に割譲された年ですね。この年に起こった台湾住民の日本に対する抵抗を映画化したものです。劇場公開当時は、私は「海角七號」の方に夢中で、この映画が公開されているのを横目で見ながら気にしつつ、カウンターではやはり「海角七號」と口走ってしまうという日々でした。そのうちに公開が終了してしまった。なのでDVD視聴になりました。


映画が始まると、台湾側登場人物の話している言葉が一つたりとも理解できない。*1あれ?と思ってパッケージを見てみると、「客家語」。全編がほとんど客家語と、日本語で作成されていたんですね。
そこで初めて、当初の抗日というものが、客家人を中心に展開されていたことを知ったのでした。そうなんだ。*2


さて。条約締結により、北白川宮率いる接収軍が美麗島、台湾に上陸してきます。森鴎外(林太郎)が軍医として従軍しており、彼の従軍日記が一方の軸になっている。当初はスムーズに進軍し、台北無血開城で接収できる。ところが南進し、客家人の多い地域、桃園、新竹、苗栗に向かうにつれ、客家義勇軍の激しい抵抗を受けることになる。


近代兵器を持つ日本軍に対し、客家軍の軍備は圧倒的に劣っている。普段は農民である人々の寄せ集めだから、それこそ竹やりやら鎌やらナタやら。彼らは地の利を生かしてゲリラ的に抵抗するしかない。
日本軍も彼らの抵抗に手を焼くようになり、逡巡を経ながらも、抵抗する住民は「すべて」討伐する方針に変えていく。これは新領土の新自国民に対して武力を行使することにもあたるので、国際的非難も浴びることになる。そのことに苦悩しながらも、早期の接収を目指し、討伐は続いていく。


最終的には、武力が圧倒的に劣り、清朝からも見捨てられたきりの客家軍は無残に散ってしまうのだけれど、つくづくと、力が劣っても、愛する家族や部族のために戦うっていうのは、どういうことなんだろうな、と考えた。この現代に生きる私たちから見れば、愚にもつかないことに見えるかもしれない。だけど、その当時の人々にとっては、それしか道がないと思えるほどに、守らねばならない大切な何かがあったのだろう、と。


日本側も苦悩する場面が多く描かれていて、決して残虐非道な侵略者とされていない。きちんと資料に当たって作成されているようなので、そうなるんでしょうね。日本軍側の演技は日本語で、日本人が演じている。日本語もちゃんと日本人が監修しているので、とても自然。だから、日本人にはその痛みがよく伝わるのではないかしら。


映画の最後に入ったキャプションには、確か「これは台湾における初めての戦争であった」っていう意味の文章があったと思うのですよ。こういった日本軍の接収当初の抵抗運動が、台湾人アイデンティティの再確認という流れのなかで、注目されつつある証左かなあ、と思うのです。そんななかで「日台戦争」という捕らえ方をする研究者も出てくるかもしれません。歴史学にはいろんな動向があるので。
今後、このあたりの歴史も折りあるごとに勉強していきたいな、と思います。


参考ページ
◆「日台戦争」と呼ぶのは誤りか -日本近現代史と戦争を研究する
http://d.hatena.ne.jp/higeta/20090509/p1

◆台湾植民地戦争とは何か -日本近現代史と戦争を研究する
http://d.hatena.ne.jp/higeta/20090516/p1

*1:それほど中国語スキルは高くないですが、さすがに"Yes""No"程度の単語は聞き取れることがあるわけで、それすらなかったということ。

*2:以前萬金聖母聖堂について調べている時に、教会の沿革のなかに「当時、この地域は客家住民の多い地域であり、新しい信徒に対して地域住民からの迫害も起こった」という記述があり、「どうして客家人が?」と疑問に思っていたのですが、おそらく客家人というのは漢族意識の強い族群で、外来のものに対して抵抗感を持っていた人々だったのではないか、と推測。客家はとにかくよく勉強する一族だから、漢族文化に造詣が深く、誇りを持っていたのかもしれない。この辺も今後の宿題としたい部分。