「奄美自立論 400年の失語を越えて」

- 作者: 喜山荘一
- 出版社/メーカー: 南方新社
- 発売日: 2009/03/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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◆与論島クオリア
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/
上記ブログ主の喜山荘一さんの著書です。
私自身は奄美に行ったことは一度もありません。
カトリック信徒なので、奄美出身の方と出会うことは多かった*1のですが、深い交流をもったことがありませんでした。
いつもブログを拝読させていただいてるid:antonianさんが与論島に在住されていて、そんなご縁でだんだんと奄美のことを知るようになっていき、とりわけid:antonian:20090414の日記を読んで、知らなかった奄美諸島の歴史に衝撃を受けました。そんなこんなでいつか読まなくちゃ、と思っていたこの本です。
上記あんとに庵さんのブログできちんとまとめられているのでぜひそちらをご参照いただきたいのですが、奄美は1609年の薩摩藩による琉球侵攻以来、薩摩藩の植民地とされていたんですね。しかもその統治は島人にとってはとても悲惨なものだった。「コト」と「モノ」の収奪はすさまじいものであったと。
喜山さんは奄美はこのときから
という二重の否定、二重の疎外の中に置かれたのだ、と奄美の「400年の失語」の起点を見ていらっしゃる。
今、ここで私は植民地という問題を考えてしまう。
台湾もまた日本の植民地とされた島。これは奄美の植民地支配と地続きのものなのだと思う。奄美を植民地にして、そういう支配をしていた薩摩藩が、近代国家日本の中核に着いたときに、奄美のさらなる南方にどんな目線を向けただろう。

「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
- 作者: 小熊英二
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1998/07/01
- メディア: 単行本
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今こちらの本も読んでいるのですが(あまりに大著すぎて亀の歩みなんですが)、台湾でもまた「日本人になれ」と教育その他ほどこされておりながら、憲法は施行されず、戸籍制度も日本人とは別にされ、諸権利も認められず、「しかし日本人ではない」という扱いを受けてきていた。
奄美の歴史の中に、自らのアイデンティティの源泉を探す喜山さんの姿に、台湾の日本語族のおじいさん、おばあさんの姿が重なるような気がしてしまいます。
すっかり私の右に置いている「図説 台湾の歴史」の中でも、周婉窈教授が、植民地支配の最大の傷跡は「植民地人民から彼ら自身の伝統・文化や歴史認識を剥奪し、『自我』の虚空化、他者化を招いたこと」と指摘している。
こうした植民地支配された人々が奪われたもの、というのは推し量ることもできないもので、「○○に比べれば日本の植民地支配なんてマシなほうだった」なんていう言葉がいかにむなしく意味がないのか、ということも思う。奪われた人、一人一人にとってはそのときに受けた収奪がすべてであって、何かと比較して慰められるなんてことはない。
だけどこういう植民地主義の問題を、私は台湾に来てようやっと理解できるようになったんですよね。日本にいる間はまったく見えていなかった。同じく奄美に関する本

- 作者: 宮下正昭
- 出版社/メーカー: 南方新社
- 発売日: 1999/09
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これを台湾に来る前に一度読みかけたことがあるんですが、まったく理解できなかった。これも奄美が植民地であったこと、カトリック信仰が彼らのアイデンティティであり、それに対する日本、っていう理解がないとわからないことだったんだ、と。
台湾に来て暮らすことで、実感を伴ってこうした問題を理解する入り口に立てたような気がしています。
それにしても、私たち大和の人間は、かつてこうして日本が植民地を持っていたという歴史をいともあっさりと忘却してしまっているような気がしてなりません。原田敬一著『日清・日露戦争』のあとがきにあるのですが、「帝国という歴史のもたらした結果としての植民地をなぜ放棄しなければならないのか、という大きな思想的課題を突き抜けることなく、1945年の敗戦という、いわば『外圧』によって台湾や朝鮮を手放すことになった近代日本は、安易に『植民地問題』を『解決』したのだ、という歴史的経緯を繰り返し思い出さねばならない」*2。日本にとって植民地ってなんだったのか、ということを今からでも真剣に考えていこう、と私自身は思ってます。そうすることで、今なお日本に残っている「宗主国」的な目線を捨てて、今度こそ本当に台湾の人や韓国・朝鮮の人と、そして沖縄や奄美、アイヌの人などなどと同じ高さで並ぶことができるのではないかと。とにかく知らねば、とそういう気持ち。
おりしも、こんな記事がブクマされているのを発見。
◆沖縄と台湾の音楽交流が始動!-台湾の情報ならお任せ!RTIブログ
http://blog.goo.ne.jp/rtijapaneseblog/e/aa15ff2172e2c88b419b02d459304892
台湾でも沖縄発の音楽はとても人気があります。「涙そうそう」や「花」は中文の歌詞でカバーされているし、だからきっと反対の流れもスムーズに行く気がする。
それでもって(またかと言われそうだけれど)、「海角七号」に中孝介さんが出演して、奄美の歌声も台湾ではものすっごく受け入れられるということがわかりました。監督はたまたま来台していた中さんのステージを見て、「海辺で歌ってもらいたいなあ」と出演交渉をしたっていう話。本当に不思議なほどに中さんの歌声は、台湾の海辺にぴたりとはまっているようでした。
やっぱりどこかつながっているものがあるんだろう、と思う。
こうして琉球弧のつながりが確かなものになって、そこからさらに北へ、延びていったらいいのに……そんなことを思います。
なんだかまとまりない記事になってしまいました。
ともかく、非常に刺激を受けた本でしたので、皆様とシェアしたく、ご紹介いたしました。